【専業】ガンジャグ自己紹介

 

どうも!

ガンジャグです!

「ガンジャグ!」は僕の名前であり、このサイトの名前でもあり、ジャグラーを打つ謎のヒーローの名前でもあります。

 

このページでは、僕の長いパチンコ・パチスロ専業人生を、ジャグラーを通して語ろうかと思います。

今になって思い返すと、僕はパチスロ人生の半分以上の間、ジャグラーで負け続けていたことに気付きました。

「ガンジャグ!」とか言いながら、このサイトで偉そうにジャグラーの勝ち方を語らせてもらってますが、僕がジャグラーで勝てるようになったのは5号機時代に入ってからです。。

 

パチスロを教えてもらって大興奮した大学時代

僕は大学生になるとすぐ、先輩にパチスロの打ち方を教えてもらいました。

それまでは、もっぱらパチンコを打っていました。

 

高〇生以前は、あんまりお金もなかったので、羽根物を打つことがほとんどでした。

ブンブン丸やゴリコップ、オロチョンパ、道路工事、うちのポチなと、よく打ちました。

ブンブン丸は台の癖が半端なかったな。。

 

ほとんど羽根物しか打たなかったのでが、パチスロを仕組みを知らずに打ったことは何回かありました。

パチ屋の中でうろうろしていて、なんとなくスロットも打ってみたくなったからです。

777が揃うとたくさんメダルが出てくることは理解していたので、「777を揃えればいいんだろ?!」と意気込み、毎回7を狙うような感じでした。

 

そんな打ち方でも、たまたま勝つ時もありました。でも、ほとんどの場合は、最後にハマって負けました。

今考えると、最後にハマったのではなく、REGが成立したのにREGを揃えなかったから負けたのでしょう。。

 

う~ん。今振り返ると、凄いことしてましたね。。

そして、凄い時代でした。

昔のスロットには「告知」などありませんでした。

リーチ目など、何も知らない人は、BIGフラグが成立しても揃えることをせずにひたすら負けて行く。

目押しができない人が、適当押しで777が勝手に揃って「今日は運がいい!」なんて感じが多かったんだと思います。

 

話を少し戻します。

僕がパチスロを本格的に打ち出したのは、大学に入ってすぐ、サークルの先輩にパチスロの仕組みを教えてもらってからです。

その先輩と「ゲッターマウス」という台を一緒に打ちながら教えてもらいました。

(5号機でリメイク版のゲッターは何機種も登場していますね。)

初めてパチスロを打った日は、「ここに3枚コインを入れて」とか「リプレイが揃ったら、コインを入れなくてもいいんだぞ」とか、「そのくらい知ってますよ~」とか、そんな微笑ましい感じでした。

 

次は一人で行きました。

その次は、一人で行って「リプレイ外し」に挑戦しました。

(「リプレイ外し」は4号機で可能だったBIGボーナスの獲得枚数を増やす目押しのテクニックです。)

 

その時のことは、はっきりと覚えています。

「リプレイ外し」は成功しました。

「俺上手い!」とばかりに、どんどんリプレイを外していって、最後までリプレイを外し、最後にパンクしました。

(4号機の小役ゲームは最大で30回までで、リプレイ外しをしていいのは、どんなに多くお25回目くらいまでです。それ以降リプレイ外しをすると逆に損をする仕組みでした。)

「俺上手い!」状態から、「こいつ仕組み分かってないだろ。。分かってないのに調子こいてリプレイ外ししちゃった訳ね。。プププww」と笑われる状態へ転落したわけです。

 

さすがに、30ゲーム完走でパンクした時には、台ではなく僕がフリーズしました。

これは、かなり恥ずかしかったです。

でも、「恥ずかしい」という気持は、その後の「パチスロ楽しい!ゲッター楽しい!リプレイ外し楽しい!」という感情ですぐに吹き飛びました。

 

パチンコでは昔から勝てていた

この時期にパチスロを心から楽しめたのには、1つの大きな理由がありました。

この時期、僕はパチンコで負け知らずでした。

 

羽根物でも勝てましたが、羽根物は「打ち止め」という制度があり、大きくは勝てませんでした。(無制限の羽根物で良い釘のものは打てませんでした。。)

「マジカルランプ」や「ナナシー」などの一般電役と呼ばれる機種の釘が良い台を打てば、期待値で20000円~25000円くらいは勝てました。

(今のジャグラーに換算すると、等価交換ではないマイジャグで、設定5を終日打つのに近いです。)

 

しかも、出しても簡単に釘をしめない店を何店か知ってました。

本当に、今では考えられないほど、簡単にパチンコで勝ててしまうような時代でした。

そういったわけで、大学生になってからの僕は、パチスロを打つ資金には困らず、「パチスロでは負けても問題なし!でも、勝ったら嬉しい!」という状態でした。

そんなわけで、「パチスロを練習して、パチスロで勝てるようになってやる!」とばかりに、どんどんお金を使って「パチスロの練習」をしていました。

パチンコよりパチスロの方が数倍楽しく感じて、「とにかくパチスロが打ちたい!」というのが本音だった部分もあります。

 

ですが、この時期にパチスロを打ち始めたことは、僕の長い専業人生からするとマイナスだったという結論になります。

この何年も後に、パチスロは僕の収入の中心に成長してくれます。

しかし、しっかりとしたパチスロの技術を習得するまでは、完全に「パチンコ→お金を稼ぐ稼働」「パチスロ→遊び」という図式になってしまっていました。

パチスロ収支のトータルでは、トントンくらい~ちょいプラスの状態が長く続き、その間のパチスロの稼働時間は、そのままパチンコの稼働時間減になり、収入減になっていました。

 

初代ジャグラーは「オヤジ打ちしろ」と教えられた

当時、パチスロは「ゲッターマウス」にハマってよく打っていたのですが、ゲッター設置店の何店かで「ピエロがモチーフの台」を見かけました。

「ピエロの台」について先輩に聞いてみると、「ジャグラー」という台とのことでした。

「ジャグラーは完全告知だから、何も考えずにオヤジ打ちするのが楽しいよ!」

と先輩が言っていたのが印象に残っています。

多分、当時のパチスロ雑誌の受け売りだったんじゃないかと思います。

 

僕もなんとなく「ピエロ」の台を打ってみたくなって、言われた通りにオヤジ打ちしました。

GOGOランプが光って、ボーナスを揃えて「ふ~ん。」で終わったような記憶があります。

それと、「完全告知じゃあ、リーチ目を拾うのは無理だな」とか、「パチスロ初心者にはジャグラーを勧めればいいんじゃないかな」とか、そんな平凡な感想しかなかったと思います。

ジャグラーでリプレイ外しもしてみました。リプレイ外しの効果が+10枚ということで、リプレイ外しで増えてるんだか減ってるんだか分からないような状態だった記憶があります。

いずれにせよ、僕の初代ジャグラーを打った感想は、全てが「ふ~ん。」という平凡なものでした。

 

なかなか人気が落ちなかったジャグラー

ほどなくして、大ヒット機「サンダーV」が登場します。

サンダー導入直後は、猿のようにサンダーばかり打っていました。

バックライトで小役を示唆するシステム、三連V図柄の衝撃、悲しげでカッコいい重低音サンド・・・

当時の他の台と比べると、サンダーはあらゆる面で段違いによくできている機種でした。

サンダーのリプレイ外しは「ビタ押し」のみ。

こちらも、猿のように練習しました。

サンダーVのビタ押し外しの練習が、今の僕の目押し力の基礎になってます。

「三連V図柄の下のベルは、三連V図柄が混ざって見にくいの」で、あえてBAR図柄の下のベルで外したり。。

 

このころ、僕「ビタ押し!」とか、「リプレイ外し」とか、そういうことにはしゃいでいました。

当時のパチスロ雑誌も、「技術介入+50枚!」などという表紙で、若者を煽るような雑誌の売り方をしていました。

(当時、パチスロに関する情報は、ほぼ雑誌か口コミから得るしかない状態でした。まだ、ネットが普及していなかったので・・・)

ですが、ビタ押し!とか、リプレイ外し!とか、技術介入!だとか、そういうことに興味がない人だって、いっぱいいますよね?

 

サンダーVや、その他の機種(主に当時のユニバ機種)の「目押しが上手ければ勝てる!」機種の影に隠れて、ホールのはじっこの方で、ひっそりとジャグラーを楽しんでいる人達がいました。

そして、ジャグラーを楽しんでいる層は、意外にも多かったのです。

その結果、ジャグラーは当時としては異例なレベルで長生きした台でした。

長生きというより、むしろ、発売から期間が経てば経つほど、人気が上がっていったのが初代のジャグラーでした。

 

そして、満を持して発売されたのが、初代ジャグラーの後継機「GOGOジャグラー」です。

「GOGOジャグラー」の登場で、「北電子のジャグラー」の注目度は一気に上昇することになります。

注) 5号機は「ゴーゴージャグラー」、4号機は「GOGOジャグラー」です。

 

GOGOジャグラーでジャグラー破産しかけた

じわじわと人気が上がっていった初代ジャグラーの後継機として、満を持して登場したのが4号機の「GOGOジャグラーSP」。

 

僕は、GOGOジャグラーの発売時期に自分がどんな立ち回りをしていたのか、はっきり覚えています。

あの頃は、パチンコで2.5円交換の1000円で30回程度回るCR機を探して打っていました。

「パチスロは打つのをやめよう。パチスロを打つより釘が良いパチンコを打った方が確実に稼げる!」と自分に言い聞かせて、なるべくパチスロを我慢していました。

そんな状態の僕の前に、ジャグラーの新台「GOGOジャグラー」が登場したのです。

 

GOGOジャグラーの筐体は衝撃でした。

初代に比べて大きくて見やすいリール。

MAXベットボタン搭載。押しやすいストップボタンと、コインを投入しやすいセレクター。

そして、なんか透けているGOGOランプ。。

 

全てが衝撃で、全てが心地良かったです。

当然、いっぱい打っちゃいました。パチンコを打たずに。。

 

ただ、このころには、パチスロを打つ場合でも、以前よりも慎重に打つようにはなってました。

なので、少なくてもプラス収支にはなっていましたが、目視(釘読み)+簡単な試し打ちで期待値が判断できるパチンコに比べると、やはりスロットは遊びに程度にしか稼げませんでした。

今だったら、遊びながら稼げるなんて最高のことなんですけどね。。

 

そして、このGOGOジャグラーはホールでとても長生きした機種になりました。

GOGOジャグラー登場後は、ジャグラー人気が完全に確立していましたので、次々にジャグラーの新台が登場して行きました。

ハイパージャグラー、ジャグラーガール、ゴーゴージャグラーV、ジャグラーTM・・・

(ただし、5号機でのジャグラー人気には及びません。当時パチスロは「万枚」が狙えるART機全盛期に突入して行きます。ジャグラーが人気だったのは「Aタイプ」の中での話です。)

 

次々と新台のジャグラーが登場しましたが、僕の記憶では(もしくは、僕の行動範囲のホールたちでは)、GOGOジャグラーの設置台数が4号機末期まで落ちなかったと思います。

どのホールにもGOGOジャグラーがありました。

 

そして、僕のジャグラー人生では、GOGOジャグラーは苦しい思い出しかありません。

GOGOジャグラーでは、あらゆる意味でヤラれました。

GOGOジャグラーであまりに結果が出なかったので、一時期専業を止めようかと考えた時期りました。

また、それとは直接は関係ないのですが、GOGOジャグラーでイカていた時期に、破産しかけたこともありました。。

 

GOGOジャグラーで勝てなかった理由

僕は長年パチンコ・パチスロの専業(プロ)をやってきました。

その専業人生の中で、後にも先にも「食えなくて専業が続かないかも」とガチで感じたのは、4号機の「GOGOジャグラーSP」でやられていた時期だけです。

 

今はスロットの(ジャグラーの)セミプロですが、専業に戻ろうと思えば戻れると感じています。

ホール状況をチェックしている限り、まだまだやり方は残っているように見えます。

 

僕がGOGOジャグラー全盛期に、ジャグラーの負けがこんで廃業まで考えざるを得なかったのには、いくつかの理由があります。

その理由を箇条書きにしてみました。

  1. もともと、この時期にはまだ僕はパチスロで勝つ能力が低かった。収入はほぼパチンコだった。
  2. パチンコの交換率が2.5円より高くなっていく時期だった。それにともなってパチンコで簡単に稼げなくなっていった。
  3. GOGOジャグラーで体感機を使った攻略が増えた時期だった。それにより、正攻法のジャグラーでの勝ち方がやりにくくなった。
  4. 僕自身のプライベートの問題で、引きこもり日数が増えた。

上にまとめたことが、ほぼ同時期に発生しました。

まあ、1番は、この時期も糞もないですが。。

簡単に言えば、「パチンコが苦しくなって来て、いよいよパチスロで何とか勝とうとしている時期に、ジャグラーの体感機の攻略プロとバッティングしてしまって苦しんだ」という感じです。

 

もし、今タイムマシンでこの時期に戻れたとしたら、今の僕ならもう少し上手くしのげたと思います。

当時、僕が「優良店」だと思って通っていた店には、GOGOジャグラーを体感機攻略で出す「攻略プロ」が来襲しました。

今の僕なら、別の店に切り替えるか、上手いこと彼らとのバッティングを避けられたと思います。

しかし、当時の僕は若かった。そして、立ち回りはつたなかった。。

僕はジャグラー優良店を舞台にして、攻略プロと真っ向から張り合ってしまいました。

その結果は・・・

当時を少しでも知る人なら想像できるかもしれませんが・・・

危険な目にあいまくりました。

一番危なったのは、ダッシュで逃げる僕を、複数人数が車で追いかけてきた時です。

あれは多分、捕まったら車に乗せられてたんだろうな。。

 

 

今、当時のことを振り返って思うのは、「ジャグラーが下手だから危ない目にあっていた」ということにつきます。

ジャグラーがもっと上手ければ、いくらでも選択肢があったはずで、危険なホールで危険な人達と張り合う必要はまったくないのです。

ギリギリのところまで攻めたとしても、最後は相手に譲れば、危ない思いはしません。

「この優良ホールは俺のシマだ!」というバカげた(つたない)発想から、彼らの怒りを買った面が大きいです。

普通に、僕の方から喧嘩売ってましたもん。。

今考えると、どんだけ危ないことしてたんだっていう。。

 

この「下手だから危ない目にあう」という考え方は、今でも僕の中では重要なパチスロに関する法則です。

逆に言えば、「上手くやれば、選択肢が増えるので、危ない(スマートでない)やり方は採用しなくて済む」ということです。

余談になりますが、現在のホールでジャグラーを打つ場合でも、他の客ともめるようなことが一切ないとは限りません。

そういう場合でも、例えばジャグラーでハイエナをするような場合でも、スマートに行えばまったく問題は起きないと確信しています。

 

5号機時代になってから知り合った、ジャグラーを好んで打つ専業がいるのですが、僕はその人が誰かと競って台を取っていることを見たことがありません。

それは、その人のジャグラーレベルが高いから、他の客と競う必要がないからです。

そのことに気付かせてくれたその専業には、今でも心から感謝し、尊敬しています。

 

パチ屋内でのトラブルの話はここまでにしておきます。

まとめると、僕がGOGOジャグラーの負けが込んで廃業も考えた理由の一つが「ホール内のトラブル」でした。

今まで必死に通っていた優良店が、攻略プロたちに蹂躙されて、僕の居場所がなくなると感じたからです。

 

それと同時期に、パチンコの高換金率化が起こりました。

それまでパチンコは4円貸しの2.5円交換が、全国のパチンコ屋で申し合わせでした。

ですが、この時期に、3円交換、3.5円交換、等価交換のパチンコ屋がじわじわ増えていきます。

 

別に、高換金になるとパチンコがまったく勝てなくなってしまうわけではないです。

ですが、パチンコが高換金になると、釘の動きの幅は小さくなりますし、朝一から持ち玉で粘る価値も下がります。

パチンコは高換金になると、簡単には勝てなくなるのです。(ただし、高換金の方が大きく勝てる可能性は出てきます。)

 

それまでの僕のように、ライバルの少ない、少し郊外のホールで良く回る台をのんびり打つスタイルの稼ぎ方にとっては、高換金率化は致命的でした。

パチンコで勝ちづらくなったことが、廃業を考えた一番大きな理由だったかもしれません。

 

それともう一つ。

これはプライベートな理由なのですが、当時僕が住んでいた建物を1年後に立て直すことが決まりました。

とても安く住める場所でした。

維持費がとても安い場所だったので、パチンコ・パチスロである程度稼いだ後に、その場所で長期間引きこもったりすることもよくありました。

 

当時の僕は引きこもりが大好きだったので、「どうせここは1年後に潰されるんだから、これまでの思い出に1年間引きこもろうか!」と、あり得ない発想をしてしまいました。

 

GOGOジャグラーで勝てず、パチンコでも勝てない状態から、やけくそ状態で1年間という長い期間、引きこもりになったのです。

当たり前ですが、それまでパチンコの勝ちで貯めていたお金が、どんどん無くなっていきました・・・

 

引きこもり明けの浦島太郎スタート

パチンコもスロットも苦しくなり、さらに引きこもりの誘惑には勝てず、住んでいた場所が取り潰される直前まで、ほぼ1年くらいの引きこもりをしてしまいました。

まあ、1年間引きこもって暮らせるだけの貯金があったのは、今からすると自分でも驚きです。

実家の近くに住んでいましたが、親からお金を引っ張るようなことは一切なかったです。

そのくらい、当時のパチンコ&パチスロは景気が良かったです。

 

とにもかくにも、パチ屋には一切行かずに1年間引きこもりました。

いや、引きこもったといっても、食料を買い出しに行ったりはしたのですが。。

そういうのは、「引きこもり」とは言わないのかな。。

 

まあ、引きこもりの定義は置いておいて、とにかく、ほぼ1年間パチ屋には行かなかった。

 

1年間の引きこもりで貯金もほぼ使い果たし、さらに引きこもる直前には、GOGOジャグラーで負けが込んでいた状態だったわけです。

住んでいる建物が工事のために取り潰される直前には、僕はある決意をもっていました。

引きこもり明けに1週間だけパチンコかパチスロを打とう。どうせタネ銭もそのくらいの分しかない。そこで負けたら、潔く廃業しよう。と。

 

予定通り、僕は住んでいた場所を追われ、いったん実家に住むことにしました。

そして、1年前までテリトリーにしていた地域で、2日間かけてじっくり店回りをしました。

その結果・・・

パチンコ屋の中で見たこともない光景が広がっていました。

本当に驚きました。

おそらく、僕のパチ&スロ人生の中で、一番の変革の大きかった1年間を引きこもっていたのだと思います。

 

まず、パチスロ台の7割~8割が「北斗の拳」になっていました。

完全に僕の理解を超えた現象です。全台が北斗の拳のパチ屋もありました。

 

次に、パチンコでは、大当たり確率1/500のCRフィーバー大ヤマトなる台が設置されていました。

これも、僕には理解を超えた現象でした。

なんじゃ「大当たり確率1/500」って・・・

ただ、大ヤマトなる台が大当たり確率1/500だと知ったのは、その台に座った後です。

 

本当に偶然なのですが、そのCRフィーバー大ヤマトの新装初日が、僕の廃業をかけた店回りの日の2日目に当たりました。

新装初日の大ヤマトに座れたのです。

座るまで「大ヤマト」っていう台が新台だということしか知りませんでした。

ただ、その店は最後まで残った2.5円交換の優良店だったので、もしかしたら新台を回してくれるかも、という望みはありました。

そして・・・

まず座れたことに喜び、次に釘を見て、命釘が見たこともないくらい広いことに感激し、最後に台に書いてある1/500という数字を見て、最終的に混乱しました。

 

この瞬間の僕に比べたら、浦島太郎の方が「歳を取った」という分かりやすい結末だと思います。

僕は、1年ぶりにパチンコ屋に来た結果、見たこともないくらい良い釘の、聞いたことがないくらい確率の悪い台の前に座ったのです。

しかも、タネ銭は多くない。慎重に打たなければならない。

 

打っていいの?これ??

 

2.5円で初当り確率が「超」悪い台です。よほど回らないと換金差にやられてしまうはずです。

しかし、見たこともないくらい釘のいい台です。

 

開店時間までに、当時の「iモード」を使ってボーダーラインなどを調べることが出来ませんでした。

(「iモード」はドコモ携帯の簡易ネットサービスのようなもの。また、当時は開店前にホール内に客を入れることが普通でした。)

最後は、「メーカーもパチンコ台のスペックに合わせてゲージ(釘の配置)を考えるはず。狂ったように良い方向に釘を叩いても出玉率を上げられない台など出さないはず。」という予測から、大ヤマトを打ってみることにしました。

 

結果としては、「大ヤマト」は当時の一般的なCR機と比べても、さほど悪いスペックではなかったです。ボーダーラインはわずかに高い程度でした。

そして、僕が新装初日に打てた大ヤマトは1000円で40回以上回っていました。

ただ、大当たり確率が前代未聞の低さなのは事実です。その分、大連チャンが期待できる台ということでした。

つまり、2.5円交換のような換金差の大きい場合は、それも含めてしっかりと回る台を打たないといけないことになります。

 

そうとは知らずビクビクしながら打ったのですが、収支的には普通に勝てました。確か25000円くらい勝った記憶があります。

帰ってから、持ち玉比率や店の営業時間を加味した期待値を出してみたところ、30000円を軽く超える優秀台だったことが判明しました。

 

この後、2週間くらい、その大ヤマト設置店に通いました。

釘は少しずつシメられて行きましたが、期待値25000円以上の台を何度も打てました。

初当り確率が1/500ということもあり、大きくハマることもありました。

もともと2.5円交換で換金差があり、スペック上、初当り確率が取りにくい台なので、「飲まれたらヤメ」になることが多くなりました。

 

そして、1000円の回転数が多い台を打っていたので、お金が入って行くスピードも遅いです。

なので、「大ハマリしても大負けはしない。」「大連チャンしても、2.5円なのでたかが知れている。」という、意外にも安定した勝負で2週間しのぐことができました。

最高で、一撃21連チャン。最大ハマリは、朝一から1200回転回して当たらずヤメ、でした。ヤメなければもっとハマれたかもしれません。。

 

このような感じで、僕は「フィーバー大ヤマト」によって、なんとか専業としての息を吹き返すことができたのでした。

 

初代「北斗の拳」を一切打たなかった僕

僕はパチンコの「CR大ヤマト」で、なんとか専業として復活できました。

でも、まだまだ軍資金は安心できれるレベルではありません。

ホール状況やしのぎ方も、まったく安定していません。

しかも、スロットはほとんどの台が「北斗の拳」だというホール状況。

 

ここで僕は大きな決断を迫られます。

「パチスロ『北斗の拳』の高設定の奪い合いに参戦するかしないか」です。

よくよく考えた上で、僕は参戦しませんでした。

なので、僕は未だにホールで初代「北斗の拳」を1回も打ったことはないです。

おじちゃんやおばちゃんに目押しを頼まれて揃えたことはたくさんありますが。。

 

今考えると、北斗の拳を一切打たないという判断は、合ってもいたし、間違ってもいた、と言えます。

専業として、まだまだ切羽詰まった状況だったので、「よく分からないものに手を出さない」ことは重要だったはずです。

それでも何とかしのげたのですから、正解だったと言わざるを得ないです。

心構えの問題です。その意気や良し、だと今でも(自分で)思います。

 

しかし、現実問題として、当時の北斗の拳の設定状況を後から考えると、一切打たなかったのは損失でしかなかったですね。。

今では考えられないほど高い機械割の「初代北斗の拳の設定6」と取ることが十分に出来た時代でした。

まあ、もともと爆裂AT機が好きではなかったことが、初代北斗を打たなかった一番の理由なんですけどね。。

 

5号機ニューアイムジャグラーの登場が嬉しかった

引きこもりを止めた直後の危機もやり過ごし、その後はそれまでの専業生活に戻りました。

ただ、収入の軸はパチンコからパチスロに移して行かざるを得ない状況へ、どんどん向かっていきました。

パチンコの2.5円交換の店は確実に減って行く流れ。

僕のパチンコの釘読み能力では、2.5円でないと「パチンコの専業」は無理だったということです。

まれにパチンコの打てる台を見つけたらパチンコ。普段はジャグラーやニューパルのようなAタイプをなるべく打ち、AT&ART機も状況が良ければ攻める。

そんな感じで、4号機時代の末期を過ごしていました。

 

当時は「イベント」やそれを示唆するメールが全盛期をむかえてました。設定を公開する店も多かったです。

なので、どの機種を打つというよりは、どの店のどのイベントに行くかが重要でした。

4号機末期に登場した、大都技研の初代「秘宝伝」は、BIG中の小役の出現率により、設定5と設定6が分かりやすかったので、積極的にイベントで打ちました。

 

ですが、そういった立ち回りでの勝ち方も、5号機の登場で不可能になるんじゃなかという噂が広まっていました。

僕も、パチスロが全て5号機になってしまったら、パチスロで食えなくなってしまうのではないか?という心配はありました。

 

そんな心配の中、実際の5号機が登場します。

大ヒット機「ジャグラー」の5号機バージョン「ニューアイムジャグラー」を初めて打ってみた僕の感想は。。

「まだまだ食える」

でした。

というか、「イベント」でライバルの専業たちと競って、精神をすり減らしていた僕としては、むしろ「まったり稼げる」と思えるニューアイムジャグラーは、ありがたい機種とさえ思いました。

スロットで勝つためには、ある程度以上は機械割の高い台と設定を打つ必要があります。

ただ、ある程度高ければいいのです。機械割が必要以上に高いと、よろしくない人達が集まってきてしまいます。

そういう人達と競うことが僕は好きではありませんし、その人達に負ければ、パチスロも負けます。

店に負けるのではなく、他の客に負けるのです。

 

専業目線の立ち回りでは、他の専業の動向がとても重要になります。

ライバルの専業が強すぎる店は、どんなに出玉ば良好な店でも、自分にとっての優良店にはなり得ません。

 

簡単に言えば、自分が稼げる範囲では、パチスロの機械割は高すぎない方がいい、と僕は思っています。

5号機初のジャグラーとなった「ニューアイムジャグラー」はまさにこの条件に当てはまった台でした。

「ニューアイムジャグラーは1回の稼ぎの額は減るだろうけど、確実に長期間稼ぎ続けられる機種だろう」と予想しました。

そして、その予想は、現在のホールにもアイム系には設定5があることから、正しかったと言えるかと思います。

 

ただし・・・

5号機時代に突入し、多くの専業は「5号機の立ち回り」を身に着ける必要がありました。

僕はなかなか5号機の立ち回りを身に着けることができなかった・・・

5号機時代に突入して、パチスロの中でジャグラーのシェアは少しずつ大きくなっていきます。

それにともなって、専業たちはジャグラーを打つ機会が多くなっていきます。

でも、4号機のジャグラーの立ち回り方と5号機のジャグラーの立ち回り方は大きく違うものでした。

4号機時代の立ち回り方が染みついてしまっていた僕は、5号機のジャグラーで納得がいく立ち回りができるようになるまで苦しむことになりました。

 

設定判別も設定発表もなくなった5号機のジャグラーで苦しんだ

僕が5号機のジャグラーで苦しんだ理由は、主に二つです。

パチスロの設定判別がなくなったことと、設定発表がなくなったことです。

 

4号機でも、ジャグラーには「設定判別」はありません。

ですが、例えばジャグラーの隣のニューパルのシマで、設定判別によって高設定が確定した専業(プロ)が打っていれば、ジャグラーのシマにもおそらく高設定があるという推測ができます。

また、4号機のジャグラーには設定判別はありませんが、小役カウンタ(カチカチ君のようなものではなく、パチスロ機内部の機能の一つ)による設定変更判別は可能でした。

4号機のジャグラーでは、「同一出目+小役カウンタのリセットなし」ならば、5号機の「ガックンなし」よりはるかに信頼できる据え置き判別になりました。

その逆に、小役カウンタから見抜いた設定変更は、ほぼ間違いなかったです。

そういった技がジャグラーで使えなくなったことは、かなり痛かったです。

 

また、イベントなどの設定発表がなくなったことも、挙動から正確な設定が判別ができないジャグラーにとってはキツいことでした。

5号機時代初期のころは、まだ設定発表が許されていました。

設定発表で「金」(=設定6)のアイムジャグラーなどを、5号機時代初期にはよく打つことができました。

そういった状況ならば、店側も「金」の札を使って客にアピールができるので、アイムでも設定6が入りやすくなります。

そこを狙って、小役を数えながらREG出現率の良い台を狙っていけば、高確率でアイムの設定6を目指せます。

ですが、残念ながら、設定発表はその後禁止になりました。

 

こんな感じで一見勝ちづらくなってしまった5号機のジャグラーシリーズ。

そして、実際の僕のスロットでの稼ぎも、著しく落ちました。

でも、どうしても、僕は「5号機のジャグラーでも勝てる!」という、ニューアイム登場時の第一印象は捨てられませんでした。

 

もし、設定判別も設定発表もない5号機のジャグラーで勝てるようになれば、ライバルが少ないブルーオーシャンの中で、とても安定して勝てるのではないか?という思いが強かったです。

もし自分が確実に高設定を取れる状況ならば、本来は設定発表などはされない方が都合がいいはずです。

設定発表があると、次に同じ状況になれば、前回発表された設定を狙って、他の専業やレベルの高い素人が集まってくるからです。

誰も知らずひっそりと入れられている高設定を静かに打ち続けられるほど、安定して勝ち続けられる状況はありません。

それに、もともと僕は誰かと競って高設定を取りあうというのが好きではなかったです。

 

5号機のジャグラーに対する、いくつもの思惑の中で、僕は以前にもまして多くのパチ屋を見て回りました。

イベントが無くなったので、その代わりに新装開店・リニューアルオープン・新規開店直後の店は、精力的にチェックしました。

「7の付く日」「ソロ目の日」などのいわゆる「特定日」の各店のチェックも優先しました。

このころ、ネット上でデータを公開する店もどんどん増えて行ったので、スマホでのホールチェックもできる限りしました。

 

店回りはとても面白いです。

知らない店や久しぶりに来た店の情報が得られる一方で、突如として、予想もできないくらい良いデータのジャグラーを拾える場合もあるからです。

何店も何十店も回って足が疲れても(運転で腰が疲れても)、そのご褒美かのような凄いデータの台を拾えた瞬間は至福です。

が・・・「良く知らない店で『たくさんボーナスを引いているジャグラー』を打つと、信じられないくらい設定が入っていない場合が多い」ことも、学べました。

3000回転でBIG20・REG20のゴージャグで5万近く負けた時は発狂しそうになりました。。

まあ、設定3~設定4くらいだったのでしょう。。多分。。ち、ちくしょう。。。

 

ガンジャグ寿引退を目指す

そんなこんなで、5号機のジャグラーで少しずつ勝てるようになっていきました。

店回りや新規・リニューアルの店を攻める中で、僕がよく「ジャグラーの専業(プロ)は~」と語るような人達とも知り合い、仲良く付き合わせてもらうようにもなりました。

そして、さらに・・・

調子にのった僕(ガンジャグ)は、スロットの専業という「しょうもない」身分なのに、女性とお付き合いを始めてしまったのです。

 

まあ、当然というか何というか、彼女はパチスロが好きな女性でした。

ジャグラーではなくハナハナが盛んな地域出身の人だったので、僕と付き合うまでは、ほぼジャグラーを打ったことがなかったらしいです。

でも、僕と付き合い出してから、ジャグラーの高設定が打てるようになって・・・

その人がGOGOランプの中毒になっていったのは、僕が説明しなくても想像できますよね。。

 

彼女は仕事をしていましたので、彼女の仕事帰りや休日に、一緒にジャグラーを打つ楽しい日々が続きました。

僕は彼女のために必死にジャグラーの高設定を二人で打てる店を探しました。

その結果、彼女は自分の給料とジャグラーの勝ちの「ダブル給料」を得られて、とても満足してました。

あ、あのころは楽しかった・・・

 

しかし、いいおっさんとおばさんが付き合っていると、周りの人達は当然「いつ結婚するの?」となるわけです。

いつ結婚するの?、とスロットの専業に聞かれても、ねえ・・・

やっぱりカタギにならないと、結婚はしちゃいけないような気がします。

 

色々考えた結果・・・

「今さら『マジメに働く』と決意しても、まともに雇ってくれるところはないだろう」と考えますし、「何か自営を始めるにしても、最初は稼げないだろうから、いきなり収入がゼロになるのはキツい」という思いもあります。

なので、取りあえず「ジャグラーの稼働を減らして、なるべく短時間の濃い稼働にする」「作った時間で自営の道を探る」ということを目指してみることにしました。

 

正直に言えば、この「ガンジャグ!」というサイトも、自営の道を模索する一歩です。

「ガンジャグ!」というサイトを作り、サイト内に広告を貼らせてもらって、どの程度広告収入が入るのか実験をさせてもらってます。

現在のところは、間違いなくジャグラーの稼働をした方が儲かる状態です・・

広告収入は「雀の涙」ですね。。

 

ただ、それでも実験としては意味があったと思ってます。

どのくらいの人に読んでもらえて、その場合にどの程度の広告収入が入るのか。

どこをどう改善すれば、人気のページや人気のサイトになれるのか。

ネット上にサイトを作るのは、とても面白い作業です。

「ジャグラーでプロがおすすめする機種は?」

というページが、Google検索「ジャグラー」というビッグワードで1位になった時には、大興奮しまくりでした。

 

結論としては、「読んでくれる人に有益な情報を提供できればできるほど、そのサイトの人気が上がり、広告収入も増える」となりました。

そのことを経験できただけでも、「ガンジャグ!」というサイトを立ち上げた意味は大きかったです。

 

パチスロの専業というどうしようもない立場から、自営で生活できる可能性を示してくれたこの「ガンジャグ!」というサイトと、それを読んで下さった皆さまには、こころから感謝しています。

これからも「ガンジャグ!」は書き続けます!

まだまだ、ジャグラーで勝てる状況は続いていると確信しています。

そして、いつかホールのジャグラーの状況がキツくなって、僕の行動範囲のパチ屋のジャグラーでは勝てなくなった場合は、正直に「ジャグラーで勝てなくなった」とこのサイトに書きたいと思っています。

ですが、パチスロの機械割が100%以上に設定できる仕様がなくならない限り、たとえ時給が低くなったとしても、ジャグラーで勝ち続けることは可能なんじゃないか?とも思ってます。

 

いつかパチスロの規定が変わり、ジャグラーが勝てなくなるまで、「ガンジャグ!」でのお付き合いをよろしくお願いします!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。